ワンキャンパスで学んだ先輩たちのストーリーを大学生のインタビューでお伝えします。
Stories - 卒業生インタビュー - 企画について
【目的】
成城学園同窓会は、同窓生相互の親睦を図り、かつ母校の発展に協力することを目的として設立され、
これまでに多岐に亘る事業活動をしてきました。
事業活動の1つとして学生支援も行っています。
今回は、経済学部の境新一先生のゼミ生と連携し、
「実社会に向けて見識を深められる機会を提供できれば」という学生ファーストの視点で、
各業界で活躍中の卒業生へのインタビューを通じ、社会人形成期にあらたな発見と知見を拡げられる
支援を企画しました。
第15回卒業生インタビュー
取材日時:2025年3月4日(火)13:00~14:30
取材相手:井上真帆氏(26回法学A)
ホリプロ所属。富山テレビ(フジ系列)で記者/アナウンサーやディレクターとして活動後、フリーアナウンサーに。NHK Eテレ「こども手話ウイークリー」声の出演。警察大学校特別講座、毎日新聞「記者トレ」、ホリプロと東京理科大学による新教育プログラム「ホリプロのラジプロ(2025リリース予定)」開発にも携わる。
インタビュア:経済学部境新一先生ゼミ生(2年生2名)
成城大学ではどのような学生生活を送っていましたか。
40代になった今でも「単位が足りない!卒業できないかも!」と焦る夢を年に1回は見ます。勉強に対しては緊張感を持って取り組んでいたのだと思います(笑)。
一方、学園に対しては少し窮屈さも感じていました。
中学から成城学園に通い、馴染み深く安心感もあったのですが「外の世界と接したい」という気持ちが強かったです。サークルや部活に入らず、文化祭にも携わらない4年間でした。学校の外に交流の場を求めていました。
では、実際に外での活動とは何をやっていたのでしょうか。
資格や専門分野を学ぶスクールに通っていました。大学4年間は、ずっと渋谷・文化村近くにあった「セガフレード・ザネッティ」というカフェで働いていました。
そこでのアルバイトの経験が、その後の進路選択に与えた影響はありましたか。
全く知らない人が心の鍵を開けてくれた瞬間が接客の面白いところです。「相手が受け取りやすい声を」と心がけて話しかけると、ふとプライベートなことを話してくださることがありました。「人から話を聴くって楽しい」と思いました。
相手の話を引き出す経験といえば、テレビ朝日の世論調査のアルバイトです。各家庭に電話をかけて、政治や社会情勢について調査しました。これが最初はうまくいかなくて、苦しかったです。「突然すみません。わたくしテレビ朝日世論調査の・・・」の「世」を言い切らないうちに、早い時には「突」でガチャって切られてしまうことも。一方で、最後まで丁寧に調査に協力していただけることも。このアルバイトでは「声だけで様々な情報が伝わること」を学びました。
同じ「もしもし」でも、相手のことを考えて発する「も」と、相手を全く考えない一方的に発した「も」。音が違うんです。人は言葉よりも前に「声の音」を聴いている、声の放ち方で相手の反応が変わることを知りました。今振り返ると、声の奥深さに引き込まれていたのかもしれません。
今はNHKでもニュースでAI音声を使うようになっている時代です。確かにAIの方が、原稿を間違いなく音声化する。設定次第で、言ってほしくないことは絶対言わない。言ってほしいことは確実に言ってくれる。でも決定的に欠けているものがあるんです。A I音声には「呼吸」がないんです。人間の声を声たらしめるのは呼吸だと思うんです。生きるために必要な体の器官を総動員しているから、体や心の状態がそのまま声にあらわれるんですよね。声にはいろんな情報が含まれているということをバイトを通して体験しました。
他に、大学生時代に打ち込んだことは何かありましたか。
「法学部だから何か法律系の資格を取らなきゃ」と思い、宅地建物取引事業者の資格試験に挑戦しました。バイト代をつぎ込んで資格の学校に通いました。でも、お金も時間も水の泡。モチベーションが上がりませんでした。もちろん試験も不合格。憧れはあったものの、本当は全く興味がないことにお金と時間をかけてやっと気づいたという感じでした。
その頃、ある演劇関係者の方から「君は声がいいね」って言われました。小さい頃から自分の声にすごくコンプレックスがあったので、初めて自分の声を肯定してもらえて、とにかく嬉しかったです。
自分の声は、空気振動を通して外から入ってくるだけではなくて、体の内側からも伝わるのでI NとO U Tが同時。声は一生のうちで一番多く最も近くで聞く音だと思います。その「声」に対してコンプレックスを持っているという状態は、今思うと辛かったなと思います。
「いいね」って言われて、一気に私の気持ちは明るくなりました。声を使う仕事をやってみたくなり、声を使う仕事は何かと考え「アナウンサーを目指そう」と思い立ったんです。
それまで私の人生のページには「アナウンサー」という言葉はありませんでした。でも、夢中になって「今できることは何?」と考え行動しました。恵比寿にあったアナウンススクールの地下室を借りて、基本の発声や外郎売(ういろううり)の練習に夢中になりました。ご質問の「学生時代に一番打ち込んだこと」に当てはまるかもしれないです。
因みに、それまで人生のページになかったことに挑戦できる行動力の源泉はどこから来るものでしょうか。
自分を信じて不言実行、とにかくやってみようと思えたことかな、と思います。
アナウンサーといえば華やかで人気者がなるイメージでした。成城学園出身のアナウンサーはたくさんいます。有名な方もいらっしゃいます。ミスコンといった特別な場で輝いた人がアナウンサーになる印象でした。だから、やっぱり、「いや、私なんか」っていう気持ちが99.9パーセントあったんです。だけど、0.1パーセントのちっちゃい私が、「私は声を使って仕事がしたい」という気持ちをきちんとキャッチしてあげたのは、我ながら褒めてあげたいです。
親や友達に「アナウンサーになりたい」と伝えて、その反応が私にとってエールになるようなものだったら良いですが、そうとは限らないのです。残念なことに。気持ちをくじくノイズになる可能性もある。ちょっとでもネガティブな声が入ってきたら、自分のやりたい気持ちって、どうしても、しぼんじゃう。なので、最初の頃は「アナウンサーになりたい」とは誰にも言わずに、コソコソっと練習していました。大学3年の頃、B S朝日の学生ニュースキャスターのオーディションに合格。その頃から周りの人にもアナウンサーを目指していることを話すようになりました。
そのように在学中にトライしたことや学んだことが、現在の仕事にどのように役立っていますか。
「好き」の力を信じることは、今の仕事にもつながっていると思います。
私が小さい頃、父は「こどもミュージカル」を地方へ誘致する事業をしていました。その関係で私は小学校1年生の頃からプロのミュージカルの舞台を間近で見ることができました。登場人物と一緒に自分の心もジェットコースターのようにワクワクして。演者と観客の呼吸が少しずつ重なって、一体になって、場の空気がひとつになる瞬間がたまらなく好きでした。「いつかミュージカルに関わりたい」と演劇の世界にも憧れていました。
これもまた、誰にも言わず何度かコソコソとオーディションを受けました。でも、どこにも引っかからず、夢として心のどこかにしまいこみました。
ところが、ですよ、アナウンサーになって10年目、「富山市民ミュージカル制作」のニュースを読んだときに「これはチャンスだ!」とピンときて、オーディションに応募、3年連続4作品に携わることができました。日本初演の演目に出演したり、プロの俳優さんたちと東京公演も経験できたりしたことは、小さい頃の私が密かに憧れていた「好き」の世界そのものでした。
妄想できたこと、想像してワクワクすることは、思いもよらぬ意外な形で実現する可能性があることを知りました。
「意外な形で実現」といえば手話です。
富山テレビ時代に 耳が聞こえない「ろう者」のご夫婦を取材させていただきドキュメンタリー番組を制作したことがありました。
緑の芝生が眩しい公園で、すごく楽しそうに、豊かにコミュニケーションをしているグループがいて、「どんな人たちなんだろう?」という興味から取材が始まりました。耳が聞こえない人は実はすごく「聴こえて」いると感じます。コミュニケーションの本質みたいなものに興味を持ち出したのがこの頃で、「手話、好き」って。いつか手話で会話ができるようになりたいと思いました。
それから10年以上の時を経て、今はNHK Eテレの「手話ニュース」の制作現場で働いています。手話に合わせて音声でニュースを伝える仕事です。手話で日常的にコミュニケーションをとるようになりました。あの頃私が興味を持ったのは、こういうお仕事に就く布石だったのかも?!と今になって思います。
学生生活を送っていると、「やりたいことはあるけど、社会人としてダメなんじゃないか」「この仕事じゃ稼げない」・・・。「現実」と「自分のやりたいこと」を天秤にかけて、どうしても選択を迫られる時があるかもしれないです。でも「好きなことをやっている自分」とは、いつか必ず出会い直せること、学生の皆さんにぜひお伝えしたいです。
続いて、お仕事の方にフォーカスしていきたいと思います。メディア業界に実際に入ってみてから感じたギャップなどはありましたか。
報道部に所属し記者としてたくさん取材させてもらえたことです。ニュースの種をゼロから見つけなければなりません。アポイントを取って、取材をし、原稿にして、映像編集をし、ナレーションを吹き込んだり、スタジオに入って伝えたり・・・。放送に至るまでにものすごく沢山の段階があることを学びました。時には自分でカメラを回す「記者カメ」をやることもありました。まさかアナウンサーになって編集をしたり、カメラ三脚をかついだりするとは学生時代には想像もしていなかったので、そういうギャップはありました。でも嬉しい予想外でした。その経験が、今の教育関連の仕事にも繋がっていると思います。
カメラの事だけではなく、取材をするにも予備知識が必要ですし、かなり準備が大変ではないですか。
出局前の朝、不安と緊張で吐きそうになったことがあります。でも、ある先輩から「井上がどうしてそんなに不安なのか分かるよ」って言われて、「何ですか」って聞いたら、「徹底的に準備してないからだ」って言われました。
取材に行く前にできる準備ってすごく沢山あります。でも最初はそれに気づいていなくて「現場でどうにか」と思っていたんです。「現場でどうにか」するためには事前の徹底した準備が必要なんですよね。取材対象者のことを予習させていただいたり、その方の興味がありそうなことを事前にキャッチして自分もそこに寄り添ってみたりするとインタビューの際の聴き方が変わります。好意的な空気が伝わるんです。
といっても現場で自分が調べてきたことを全部言っちゃうと意味がありません。調べてきたことは自分のお守りとして隠し持っておく感じです。取材のゴールを(仮)として思い描いておいて取材に行った方が、最低限撮らなきゃいけないものは撮れます。声もいただけます。事前準備が一番大変だけど、現場ではそれを捨てるくらいの気持ちで。でもちゃんと準備しておけば現場ではその場の空気に任せれば大丈夫っていう気持ちになれるんです。
取材をする際に、やはりアポなど無しに突撃取材することもあるのでしょうか。
あります。痛い経験もしました。記者時代にニュージーランドで大きな地震が起きた時のことです。その時、富山県の富山外国語専門学校の多くの学生さんがニュージーランドで語学留学をしていました。たまたま行った留学先で、地震に巻き込まれてしまったという悲しい出来事がありました。
発災直後、あるお宅に取材に行きました。「娘が建物の下敷きになってしまっているかもしれないご夫婦」の家です。そこで私いきなりマイク向けちゃったんです。相手は、「何しに来たん?」って。私は「今のお気持ちは?」と。お父様にすごく怒られました。
考えてみたらそうですよね。自分の娘が異国の地で死んでいるかもしれないのに、テレビで食レポなんかもやっているアナウンサーがやってきて、いきなり今の心情をきいてくる…ひどいことをしたんです。その時に、人から話を聴くってすごく神聖な行為だと気づきました。相手への敬意を持って、相手の気持ちをきちんと考えて話をしないと、相手を傷つける可能性がある。この経験は、私にとってはすごく大きな出来事でした。
そのような経験後、どのような心持ちで報道に携わっていったのでしょうか。
取材をさせていただくからには、その目的と、社会に対してこういうことを発信したいんだという意志を明確に持っていないといけない。自分なりに考えた結果、同じ富山の地に暮らしている10代の若い方達が、夢を追いかけて海外に行った、でも、残念ながら地震に巻き込まれてしまった、けれど、その人たちが「いた」という事実をまずは知ってほしい、その人たちを弔う、命に感謝する、「確かにいた」ということを世の中に残すっていうことが報道の役割なんじゃないかと思うようになりました。事実を事実としてきちんと伝える。その子がどんなふうに頑張っていたのかをきちんと伝えようと心を尽くしました。怒られてしまったその親御さんともその後はお話させていただきました。
「富山の小児外科医不足」という社会問題を取り上げたときのことです。NICU=新生児集中治療室の取材で、低体重で生まれた子とそのお母さんを取材させていただきました。悲しいことに、その子は退院できず亡くなってしまいました。「NICUでは大変だったけど、退院後こんな元気になりました」というような映像を、当時は誰もが期待して取材して、取材を受けてくれたお母様もそれを期待していた中で亡くなられました。取材をしたことを後悔しました。
でも、あとになって、「取材して放送してくれたことで、その子が生きていたことを残すことができました。ありがとうございました。」というメッセージを主治医の先生を通していただきました。「事実を正しく記録し、丁寧に取材し伝えたい」という思いを強くした出来事でした。
2022年北京オリンピックのフィギュアスケート男子シングルで銀メダルを獲得した鍵山優真選手にまつわるエピソードもあります。スポーツ担当時代、「未来のアスリートをめざせ!」という特集コーナーを毎週担当していました。15年ほど前、当時5歳の鍵山選手、富山市内のスケートセンターでコーチであるお父さんと二人三脚で練習していたのを取材させていただきました。
2022年、富山時代のニュースデスクから突然「ありがとう」というメッセージが届いて・・・何かと思ったら、「5歳の鍵山選手の練習シーンを映像で残していたのはうちだけだった」と。その知らせを聞いた時は嬉しかったです。事実を残していくことの意味を再確認しました。
ニュースを伝えるお仕事では客観的であることをすごく心がけています。事実はきちんと積み重ねるけど、それに対する判断は視聴者の方に委ねる音声表現を心がけるようにしています。
お仕事について最後になりますが、やりがいについて教えてください。
今はNHK Eテレで子ども向け番組のナレーションを務めています。制作段階から携わっています。ディレクターがいて、編集マンがいて、デスクがいて、と役割分担はされているんですが、最終的に1本に仕上げるタイミングでは、音声を担当する私と、出演者である手話キャスターの方、みんなで映像を確認して、内容を磨いていきます。
日本語の表現と手話の表現がフィットしないこともあります。日本手話って日本にあるけれども、日本語とは別の言語。なぜそういう手話表現になるのか、音声表現になるのか、という議論を納得がいくまでします。
ナレーターは「最初の視聴者」です。映像と原稿を視聴者に近い感覚で見て、疑問に思ったところは「わかりません」と素直に言わないといけない、そうじゃないと視聴者の方も疑問に思ってしまうから。その点においては、記者の事前準備とは違って、事前準備はなるべくせず、まっさらな気持ちで映像と原稿に向き合っています。分からないところは、よりわかりやすくしていく。そういうディスカッションをしながら、いいものをチームで作っていく、すごくやりがいを感じています。
では、今後の目標はどこに向かっていくのでしょうか。
20年以上「事実」を伝える仕事をさせていただいています。いつか「全世界終戦記念日」のニュースを読みたいです。
もう1つは、手話を小学校の国語教育の中に取り入れていくようなアクションを仕掛けていきたいです。例えば「見守る」という言葉。手話では「丁寧/見る」「心/中/応援」「サポート」文脈や伝えたい内容によって表現がさまざまです。手話は言葉の解像度が日本語よりも高いです。そして相手のことを感じながらでないとコミュニケーションできない言語です。相手と自分の「呼吸」を合わせないと言葉のキャッチボールができないんです。相手のことをよく見て、前後の文脈も、話の背景もきちんと掴まないと、コミュニケーションがとれない。「コミュニケーションスキルを上げよう」「人前で発表する力を養おう」という教育が増えています。手話を教育に取り入れることによって、人や言葉との向き合い方が変わるんじゃないかな・・・と。私自身が人として大切な心の姿勢を手話から学んでいるので、子どもたちが楽しく人と関われるようなプログラムを作れたらいいなと思っています。
最後に、社会人になる上で大学生に求められる力と、成城大学の学生にメッセージをお願いいたします。
見えない、聞こえない、でもすごく大切なことをどれだけキャッチできるか、それが今求められていることなのでないかと思います。それをキャッチできるように自分を養っていきたいです。A Iには絶対に真似できないことのはずです。
やりたいことを達成するために、「何か今すぐできる小さい1歩を絶対やってください」ということもお伝えしたいです。例えば海外に行きたいのであれば、そのための情報サイトを見てみるとか。本当に小さな1歩でいいから、やりたいことに向かって、できる行動を、今すぐ。現実が少しずつ変わると思います。
本日はありがとうございました。
【編集後記】
今回は、フリーアナウンサーの井上真帆さんに来ていただきました。アナウンサーの方と実際にお会いし、お話をする機会などこれまで無かったため、なんて聞き取りやすく頭に入る話し方なのだと感銘を受けました。
インタビューを続けていくうちに、井上さんのお仕事に対する熱い思いや挑戦心を強く感じました。特に、報道をすることの意義について、実際に報道記者として活動されていた方の考えを聞くことができ、新たな視点をもたらしてくれるだけではなく、報道やニュースについて改めて考えるきっかけにもなりました。
これからの人生において、就職活動を始めとした多くの選択を迫られる私たちにとって、心に刻むべきメッセージが沢山あったと感じます。井上さんへのインタビューは、学びの多い大変有意義な時間となりました。
成城大学経済学部 境新一ゼミ
大熊梓遠(経済学部2年生)
佐野有咲(経済学部2年生)