ワンキャンパスで学んだ先輩たちのストーリーを大学生のインタビューでお伝えします。
Stories - 卒業生インタビュー - 企画について
【目的】
成城学園同窓会は、同窓生相互の親睦を図り、かつ母校の発展に協力することを目的として設立され、
これまでに多岐に亘る事業活動をしてきました。
事業活動の1つとして学生支援も行っています。
今回は、経済学部の境新一先生のゼミ生と連携し、
「実社会に向けて見識を深められる機会を提供できれば」という学生ファーストの視点で、
各業界で活躍中の卒業生へのインタビューを通じ、社会人形成期にあらたな発見と知見を拡げられる
支援を企画しました。
第12回卒業生インタビュー
取材日時:2024年3月7日(木)13:00~14:30
取材相手:株式会社ヒューマン・ケア 代表取締役
佐伯正和氏(43回経済)
Q.大学で部活をされていたと思いますが、どんな経験がありましたか?
バスケットボール部で自分にできることを続けて自信を付けたことが思い出です。
練習が週5日でバスケットボール部が大学生活のメインになりました。初等学校から高等学校まで成城で、なんとなく上がってきてしまった感じだったので、ここで何か一つ新しいことに挑戦してみようと思い、大学のバスケットボール部に入りました。大学から始める人は少数で、自分は技術的には劣等生でした。キャプテンに怒られるだけでなく、チームでのシュート練習が上手くいかずに雰囲気が悪くなる。それがちょっと辛いなと思う日々でした。プレーではみんなに迷惑をかけて足を引っ張っている分、自分は何か他のことでチームに貢献できることを探さないと、このままじゃダメだと感じました。そこで自分は何ができるかを考えた結果、背も低いので、持久力を付けるため筋力トレーニングに励みました。プレーではちょっと上手くいかなかったけれど、自分の得意分野、自分が生き残れるところを探して、そこで努力することによって自分の殻を破ることができ、とても自信が付きました。それによって、プレー中にミスをしても違う部分で頑張っていることをチームが認めてくれるようになり、チームの一員として自分も貢献できている実感が湧いてきました。
Q.話を聞いていて、自分がこの状況だったら、やめてしまうと思いましたが、佐伯さんはなぜ続けることができたのですか?
1番は仲間の存在です。
友達から「辛いのはみんな一緒だよ。俺だってきつい。練習もやめたいよ。だけど頑張ろうぜ。辛いのはお前だけじゃないからさ」とよく言われました。「自分も友達には負けないぞ」と思って頑張ることができたので、友達の存在がとても大きかったです。
もう一つは、「嫌なことは寝て忘れる、考えても解決出来ないことを、くよくよ考えてもしょうがない」というようにポジティブ思考を持っていました。そもそも自分で挑戦してやろうと思っての入部でしたので、逃げずに頑張ろうという気持ちを強く持っていたことが大きかったと思います。
Q.社会人に近づくと就職活動をされたと思いますが、就職活動を振り返り、どんなことをやっておいたほうが良かったと感じますか?
学力レベルを痛感したので勉強ですね。
書類選考の後に学科試験があり、もっと勉強しておくべきだったと感じました。他には面接の対策も大切だなと思いました。良く自己分析をし、自分の考えや、自分の長所を伝えることで、「この会社で私はこういう活躍や貢献ができます」そういうことが言えるようになるといいと思います。とにかく、何かに打ち込んで、なぜそれに打ち込むことになったのか。その経験をして何を得たのか、それが社会に出て何に活かせるかなどが自然に話せると良いと思います。
Q.就職活動の際に活かすことができた強みや長所を教えてください。
大学生活の中心であったバスケットボール部での経験が自身の強みに繋がりました。自分なりにできることを見つけ、チームの一員として認められ、勝利に少しでも貢献した経験です。自分自身をさらけ出して、自分なりのストーリーをありのままの形で語って相手に伝えることが重要だと思います。
Q.就職活動を終えてダイクマに入社されましたが、その決め手は何だったのでしょうか?
何がやりたいのか、何が向いているのかを考え、OBOGにお会いして、実際の声を聞き会社の雰囲気をつかむことで会社を選びました。人の話を聞いて情報を得る事や、人の生き方に興味があったので、沢山の人に出会えるホテル業界や流通業界、百貨店、小売業界などのサービス業に興味がありました。その中でも、ダイクマは何でも売っており、すごく楽しそうという印象がありました。また、休みが多いことも魅力でした。さらに、卒業生が入社していたこともあり、ご縁を感じ入社を決めました。
Q.ダイクマを退職され、現在は会社経営をされていますが、大学時代に就職活動をしていた際には将来的に会社経営という人生プランを立てていましたか?
学生時代には、漠然と何かを自分でやりたいという気持ちはありましたが、真剣に起業のことは考えてはいませんでした。しかし、社会に出てサラリーマンとして働きだした際、自分の力を試したい、自分の思うままに仕事をしたい、世のため人のため自分のために何かやってみたいと思うようになりました。会社からの指示で、上司から言われて、先輩から頼まれて、というスタンスから自分で考え行動し結果に責任を持つというスタンスに憧れ、目指すようになりました。また、高校時代の先生から「人生、人に流されるな、自分の意志で流れろ」と、言われたことをよく覚えています。さらに、孔子の『論語』の言葉にも影響を受けました。「吾十有五にして 学に志す。三十にして 立つ。四十にして 惑はず。五十にして 天命を知る。六十にして 耳順ふ。七十にして 心の欲するところに従へども、矩を踰えず。」という言葉です。「10歳のころは何でも良いから興味を持ったことを勉強しなさい。15歳で自分の興味がどこに向いているかを考えなさい。30歳は働き盛り。家庭を築いて他人から学ぶことを充実させ、独立した自説を持ちなさい。40歳は狭い枠にとらわれずに自由に物事を見なさい。何が起きても動じることなく、それを受け入れる自由さを持ちなさい。50歳は自分がどのような役割を持ってこの世に生を受けたか、人生を振り返り自分の役割とは何かを考えなさい。60歳は助言や相手の言葉をそのまま聞くことができるようになりなさい。70歳は自分の欲望をコントロールしなさい。欲望に左右されない心の安定を持ちましょう。心の思うままに行動しても人としての道理を外してはなりません。」といった意味です。この言葉から、40歳までには自分で独立して起業したいと思い、それを目指して頑張っていました。
Q.ありがとうございます。40歳までに何かやりたいという気持ちがあったのですね。40歳になるまでの間、転職をされていますが、転職のきっかけを教えてください。また、その際はどのような気持ちでしたか?
最初はダイクマがヤマダ電機と吸収合併したことにより転職することになりました。その際には、人間関係や文化の違いに悩みました。介護の世界に入ったきっかけは、交通事故によって、自分にとって何が大切かを考える機会が生まれたことです。当時は1日の半分以上の時間を仕事に費やし、売り上げ数値に挑戦し、帰宅後はバタンキューの生活でした。そんな中、バイクで事故に遭い、怪我をして自宅で療養していました。自宅での療養中に、母親がほぼ寝たきりの状態で、人の手がないと食べたり、飲んだり、トイレをしたりすることができない状態であることに改めて気づいたことや、生死ギリギリの事故だったこともあり、一度きりしかない人生を悔いの残らないものにしなければならないと思いました。そこで、自分自身の健康や家族の健康を守ることなど、今できることをやろうと決意し、介護の世界に入りました。また、介護保険制度が始まったことや国の方針として介護業界を後押しする政策の時期も重なり、転職のきっかけとなりました。転職したことに後悔はありません。転職は勇気が必要なことではありましたが、転職が一つの転換期となり、転職によって今の自分があるので逆に良かったと思っています。
Q.転職をされた際に大変だったことや、ギャップなどがあれば教えていただきたいです。
販売業から介護業界に転職した際は、自分自身で選んだ道だったので、苦しいことや困難な事があっても頑張ろうと思って乗り越えることができました。ダイクマからヤマダ電機に転職した時は吸収合併による転職だったため、その際は企業風土の違いを感じました。同じ業界で、同じ場所で働いているのに、支配されているような感覚になってしまいました。日本人同士でもこのような感情が生まれるので、国同士だとなお一層複雑な思いが生まれるだろうなと感じました。
Q.介護業界は人手不足だという声を耳にするのですが、実際のリアルな声をお伺いしたいです。
求人広告を出しても人が集まらない現状です。どの業界も今は人手不足だと思います。企業として、どう対応していくかというと、賃金を上げる事や休日を増やすことなど待遇面ももちろんですが、やりがいのある仕事、自分自身が成長できる仕事、お互いが尊重しあい協力しあえる人間関係、働きやすい環境等、魅力ある会社には人が集まるのだと思います。
介護の業界は人に対するケアのため、絶対に人でないとできない部分があります。相手の立場に立って考え、愛を持って気遣い、心を込めてサービスをする事が大事です。一方で、今後は一つ一つの作業を機械化していくことは大切だと思います。何年後かには、AIがうまく高齢者や障害者、病人、怪我人など、人の心情や感情を察知できるものができてくるかもしれないです。ちょっと気味が悪い気がしますが。(笑)
ただ、それ以上のものを生み出していく会社にしたいと思い「ヒューマン・ケア」という名前をつけました。
Q.人手不足が解消されなかったり、介護職を希望する人が少ない理由は何だとお考えですか?
なかなか難しい質問ですね。分かったら、逆に私も教えて欲しいです。(笑) 介護という仕事の魅力ややりがいを発信していかなくてはいけないなと感じています。怪我や病気になっても、社会で支えあい、健康的で豊かに暮らせる様に助け合う事が福祉であり、その中の一つが介護という分野です。困っている人を支え、日々の暮らしに幸せと喜びを与える事が出来る仕事という事を皆さんにもっと知って欲しいと思います。また、介護業界として、働きやすい労働環境や待遇の改善、地位の向上を目指して行く事が重要であると思います。今日皆さんと話をして、逆にヒントをもらえたような気がします。
Q.従業員の方やお客様とその家族の方と関わる上で、気を付けていることや、大切にしていることは何ですか。
相手の立場に立って物事を考えるように努めています。そして、相手に興味・関心を持つこと。これによって相手との距離は近づくと思います。普通に話していれば聞き流してしまうようなところでも、アンテナを張って、相手のいいところや相手の興味を引き出し、伸ばして拡げてあげられるよう心がけています。人は人生の中で2回、他人から世話をされ、2回、他人の世話をすると言います。生まれた時、赤ちゃんは親からおしめをかえてもらったり、着替えたりと1回世話されます、次に自分が病気や怪我や老化で今までの様にできなくなった時には、人からお世話をされるようになります。また自分が親になった時は、自分の子供が健康で無事に育つようにお世話をし、自分の両親が病気や老いなどで助けが必要な時は、自分が育てられた事を思い出し、お世話をする。今まで育ててくれた親の有難みや愛を感じ、今度はそれを恩返ししていく。ご家族や患者さんにはこのような気持ちを持っていただきたいと思っています。
Q.ヒューマン・ケアをご自身で設立されたことによって、今後の介護の業界をどうしていきたいか、お伺いしたいです。
介護業界は、3K(きつい・汚い・給料が安い)と言われています。私はその現状をなんとか改善していきたいと考えています。「綺麗・かっこいい・給料高い」にしたいです。
さらにいうと、介護業界で働く人たちが介護の国家資格を取得して、労働環境の改善のために国に働きかけることができればと考えています。
今日の機会で、皆さんにこういう仕事、業界もあるのだなというのが分かっていただけたと思うので、働く業種の一つとして候補にしてもらいたいです。
Q.会社としてのこれからの目標はありますか?
ヒューマン・ケア設立時は売り上げ0円からのスタートだったので不安ばかりでした。 ただ、地域で長くアルバイトのヘルパーをやっていたので、立ち上げ時当初から、以前の付き合いの関係で5、6人の患者さんがいたことは幸せでした。まずは売り上げ1億円を目指して頑張って次には海外支店、ハワイ支店を作りたいです。楽しく笑顔で、一生懸命に働く会社で、様々な人が仲良く、関わり合って支え合える社会、そんなコミュニティができたらいいなと思っています。
更に次の世代の子供たちが、「笑顔で幸せに楽しく暮らせるような 施設や空間、居場所を作ってみたい」と思っています。
Q.学生生活最後の年に、やっておいた方がいいことがあったら教えていただきたいです。
自由な時間はもう限られていると思うので、本当に自分のやりたいことをやるのが1番いいと思います。旅行でもいいし、勉強でもいいし、友人とのやり取りでもいいし、人によってそれぞれ違うとは思いますが、それらが無駄なことはないです、必ず何か自分の中に経験として残ります。外国での経験はもちろんですが、国内でも違う地域とか違う学校とか、様々なところに目を向けると良いと思います。私自身、海外旅行を通じて、「今の自分が置かれている状況が幸せだな、恵まれているなと気づくきっかけ」となりました。学校に通わせてくれて、生活を支えてくれて健康に育ててくれた両親へ感謝の気持ちを感じるきっかけになりました。様々なことに興味を持って、感性を磨いて経験を積むということは、皆さん自身の人間味を豊かにすると思うので、勉強も大切だけど興味のあることを突き詰めてみてください。これだけは絶対誰にも負けないというものが見つかると自分に自信が持て見る世界が変わっていくと思います。最後に、ご両親や家族や愛する人を大切にして、残り一年の学生生活を頑張ってもらえればと思います。
Q.大学4年間は長いようでかなり短いと思いますが、その中でやっておけば良かったと思うことがあったら教えていただきたいです。
視野見聞を広めるために、もっと積極的に学校以外の世界を経験しておけば良かったと思います。私は特に小学校から成城学園に通っていたので、「仲の良い気が合う友達といた方が楽だ」という考えを持っていました。しかし、今思うともっと他大学と交流したり、様々な場所に行ったり、様々な経験をするべきだったと思います。また卒論にもっと力を入れておけば良かったと後悔しています。とにかく、自由な時間がたっぷりある時に、将来の事を考えて興味のある事をやるのが良いと思います。例えば、語学の資格を取るとか、運転免許を取るとか、インターンをやってみる等やりたいことをやるのが良いと思います。また人生をより豊かにするためには、遊ぶ事もとても大事であると思います。大学4年間で様々な自分の興味のあることをどんどん積極的にやってみてください。
Q.これから私たちが社会に出ていく上で何か必要なスキルや大切なことなどがあれば最後に教えていただきたいです。
① 素直に真面目に一生懸命やること
② メモをとり同じ過ちを繰り返さないこと
③ 時間を守り、約束を守る、こと
④ 言葉遣いや礼儀作法、謙虚な心
⑤ チームワーク
⑥ 学ぶ姿勢
⑦ 家族を大切に
以上の7個の事がこれから社会に出ていく皆さんにお伝えしたい事です。
- いつも一生懸命に何事にも取り組んでいる人は、誰からも信頼されます。
- 人間は忘れる生きものです。メモをとる習慣を身につける事は大切です。またミスや失敗をした時は、原因を考え迅速に対策をとり同じミスを繰り返さない事が大切です。
- 時間は誰にでも平等です、また約束は必ず守る様にしましょう。
- 大人として社会人として成城卒業生としての気品を持ち、自分の能力や立場におごる事なく人と接して欲しいと思います。
- 人は一人では生きていけず周りに支えられ、また周りを支えていく事を忘れずに。
- 勉強は一生続き、新しい事を学び新しいことにチャレンジしていく姿勢は大切だと思います。
- 一番身近で一番気を使わない存在ですが、常に感謝の念を忘れずに。
長時間にわたり、有難うございました。
編集後記
第12回卒業生インタビューでは株式会社ヒューマン・ケアを設立し、代表取締役として活躍されている佐伯正和さんにお話を伺いしました。とても温和な人柄で楽しくインタビューさせていただきました。
今回のインタビューでは、自分にできることを続けることで自信を付けた経験が特に印象的でした。社会に出た際、自分にできることを続けることでチームや組織に貢献できる大切さを学びました。このインタビューで学んだことを今後の大学生活やこれからの生活に活かしていきたいと思います。
成城大学経済学部 境新一ゼミ
吉田 来哉 (経済学部3年)
市丸 麻里子(経済学部3年)
清野 小雪 (経済学部3年)
藤川 莉安 (経済学部3年)
後列左から 鈴木小夜子(常任委員)、長岡夏海(常任委員)、境新一先生、本田敏和(事務局長)、
前列左から 清野 小雪、市丸 麻里子、佐伯正和氏、吉田来哉、藤川 莉安